ハーレーダビッドソンバイクの記念すべき第1号機

バイクの王様、「ハーレーダビッドソン」。その誕生は今から100年ほど遡(さかのぼ)ります。「ハーレーダビッドソン」は1903年、ウィリアム・ハーレーとアーサー・ダビッドソンという若干二十歳の若者によって設立され、その際の工場はなんと馬小屋だっというから驚きです。さらに、設立者であるウィリアム・ハーレーとアーサー・ダビッドソンに加え、アーサーの実の兄弟に当たる鉄道メカニックのウォルター・ダビッドソンが2人を手伝う形で走り出します。そして、完成した記念すべき「ハーレーダビッドソン第1号機」は、トマトの缶詰を加工したキャブレターと、握り拳(こぶし)ほどもある大きさのスパークプラグから発する24.74cu in(405.19cc)の出力は3馬力だったと言われています。

ハーレーダビッドソンバイクの社会への浸透

20世紀前半の当時、ハーレーダビッドソンバイクが普及していくきっかけは「郵便」でした。その理由は「馬より早い」という理由。郵政省を中心にアメリカ政府の9つの省で採用され、一気に社会に浸透していきます。このターニングポイントとなった年が1914年。この年約4800台以上が各政府で採用され、“パッケージトラック”と呼ばれる商用3輪駆動のGモデルを開発します。このモデルは、さまざまな目的に応じて改良した木製コンテナを装備し、配送用として広く社会に浸透していきました。ちなみに文化遺産としても貴重であるハーレーダビッドソン初期のモデルは、商用であったが故にほとんど現存していません。

ハーレーダビッドソンと日本の関わり

ハーレーダビッドソンバイクが誕生したのは1904年であり、最初に日本へ輸出されたのが1912年。意外にも早い段階でハーレーダビッドソンは日本上陸を果たしているのです。黎明期における日本との関わりをまとめてみましょう。

1912〜1917年 日本陸軍にバイクを輸出する
1922年 民間のオークラとJSモデルを契約
1923年 最初のハーレーダビッドソン日本代理店が誕生
1925年 三共製薬の契約したバイクが日本に上陸
1932年 三共製薬は、ハーレーダビッドソンと「陸王」のライセンス生産について契約

「陸王」とは…

1932年に三共製薬(旧陸王モーターサイクル)が、アメリカのハーレーダビットソン社のライセンスを買い、国内製造販売した大型バイクです。同社は1960年に倒産し、幻の名車となっています。